国柄が違う、
風土が違う、
スキルが違う。

それでも、
世界のどこでも、
キトー品質を実現する方法を
模索した男たち。

Project story02

タイに新工場を立ち上げて、
山梨本社工場の生産を移管せよ。

『キトーの主力製品である電気チェーンブロックの生産を、タイに工場を新設して本社山梨工場から移管する。初出荷は2020年6月を目標とする』

2018年、これが歌田秀樹に課せられたミッションだった。歌田はもともと、本社山梨工場の製造部門で調達の仕事に従事していた。2016年からは工場全体をより効率的に運営するためのソフトウェアの開発に携わり、それは最終的に、工場だけでなく本社の基幹システムと統合して経営全体を効率良く管理するシステムの開発・導入へと発展していった。さらに、このシステムをアメリカの関連会社ハーリントン(Harrington Hoists)へも提案し、導入。日本の山梨工場とハーリントンの工場は業務工程が似ていたので、システムを合わせて効率化を図ったのだ。こうした経緯から、タイでの新工場立ち上げにあたり、資材の調達から加工、組み立て、そして出荷まで、生産工場の業務フローを熟知する歌田こそ、会社にとって最適な人選だったのだ。

当時、山梨本社工場はさまざまな改革を進めていた。その一環として、原価低減と販売量の増加を見据えて生産の分散を図るため、一部製品の生産は海外工場へ移管することになったのだ。タイにはすでに販売会社サイアム キトー(SIAM KITO TAHI CO., LTD)があり、かつて稼働していた工場が遊休資産となっていた。これを有効活用し、キトーの代名詞とも言えるチェーンホイストのうちEQ、CX、LXなどのシリーズをここで生産することが決まったのだ。

家族でタイへ。しかし、
COVID-19でロックダウン。

新工場の設立は2019年5月と決まった。会社名はキトー ホイスト タイ(KITO HOIST THAI CO., LTD.)。歌田は2018年から出張ベースで現地を訪問し、あらゆる調査や準備に取り掛かった。しかし歌田にはもともと、海外志向がなかったという。「だからこの頃も、現地を見てくる、という感覚で仕事をしていて、長く赴任するとは思っていませんでした。英語力も、何でも自由に話せるわけではなかったし。子どもも幼く、新居の新築計画もあって。もし駐在が決まっても、これは単身赴任だな…、と」

しかし、自分にとっても家族にとっても、二度とないチャンスであることは確かだ。やがて「家族一緒に異国で生活することは、必ず良い経験になるはず」という思いが強くなり、2020年2月に工場長として赴任。しかしこの頃、世界ではCOVID-19の影響が次第に広がりつつあった。日本でも連日報道が過熱していたが、人々はまだ普通に生活をしていた。しかしタイでは3月に非常事態宣言が発表され、事実上のロックダウン状態となったのだ。初回出荷を6月に控えていた新工場ではさまざまなことが頓挫し、中断を余儀なくされてしまった。

「ニュアンス」を理解する日本人と、
「白黒はっきり」を求めるタイ人。

柳沢達也が初めてタイ工場へ出張したのは2021年6月。この頃は各国でロックダウンの基準がやや緩和され、外国人の商用の出入国が可能になっている国が多かった。しかしコロナ禍の海外出張では、タイに限らず各国への入国時に2週間、日本帰国時にも2週間の隔離が義務付けられていた。柳沢もタイ入国後の2週間をホテルで過ごし、陰性反応が確認されたのちにタイ工場へと向かった。ミッションは、工場ラインの加工エリアのサポート。加工作業を行う作業員たちへ、4カ月間にわたって作業手順の指導と改善を行ったのだ。この頃はすでに設備が稼働して生産が開始されていたのだが、歌田が柳沢にサポートを求めた理由は、「KHT単独で機械加工工程を生産可能な状態にする」ためだった。

山梨の本社工場で加工工程を中心に経験を積んでいた柳沢は、作業員たちの手順を一つ一つ丁寧に確認していった。「工程によっては、現地作業者単独での生産が困難な設備もありました。そこで実際に作業者と一緒に段取り作業を行い、必要な治具の設計や作業要領書をより使いやすいものにブラッシュアップしていきました。いざ、量産を始めると思ってもみないNGが多く発生し、困惑しました。そこで、NG履歴(NG内容/原因/再発防止/作業で気を付ける事)を作成し、KHT独自でこの運用を回せるように教育しました」
「また、分かったことは、物事をはっきりととらえるタイの方々には、日本人が感覚的に行う手作業のニュアンスは理解しにくいということ。そこで、治具の設計や要領書の記載は感覚的な表現をやめ、誰が作業しても同じ仕上がりになる方法を工夫しました」

山梨の本社工場で使用している補助具を使っても、良い結果になるとは限らなかった。
そこで、作業員の手の使い方を観察して試作を繰り返した。

言葉の壁はあるものの、現地の作業員たちは「使いにくい!」「グッド!」と、はっきりと意見を言う。補助具が気に入らないと、いつの間にか使うことをやめてしまう事もあった。柳沢は治具の改良と同時に、作業管理者への教育も行った。工夫はやがて実を結び、加工のNG数は減り生産が安定していった。

予想以上の高温多湿
見たことのないサビに驚く。

名取正司が初めてタイ工場を訪れたのは2021年10月。担当する組立生産設備の整備は最終段階に近づいていた。「設備をタイに移設する前に、日本では試作運転を済ませていました。しかし現地では、なかなか生産性が上がらない。何故だ?と現地で作業を観察すると、作業性の悪さ=生産性の低下が顕著に現れることが分かりました。日本では設備等の作業性の悪さを作業者自身のスキルで乗り越えていたことに気付きました。また、タイは高温多湿の気候により考えられないほど、サビの発生スピードが速く、1週間ほどで鉄の治具の表面がサビだらけになり、とてもびっくりしました」

そこで名取は、サビが出ない素材の採用や鉄の表面をコーティングするなど工夫を施した。そして、作業員にゆだねる工程についても、一人ひとりの感覚や勘に頼らない、スキルが不要な方法を模索した。「センサーの光で作業の手順を教える仕組みや、作業要領書がそのセンサーに連動して目の前のモニターに表示される新システムはタイに良く合っていました。日本人は紙の要領書を渡せば覚えてしまい、後は自分の感覚で職人的に上達していくのですが、同じやり方は通じなかったですね」

歌田がタイ工場の責任者として立ち上げを担ったとき、目標にしたことは「人のスキルに頼らない工場を造る」ということだった。「職人気質の日本人が阿吽の呼吸で動く工場とはコンセプトを変えなければいけない。人の感覚に頼るのではなく、機械側に工夫をしなければいけないと考えていました」

名取はその後も6か月、3か月と改善のために滞在を繰り返し、延べ1年半をタイで過ごした。「作業員の方々と直接コミュニケーションを取ることを常に心がけました。英語が通じないのでタイ語を頑張っていたら、結構話せるようになりましたよ」

タイ工場にはまだ設備メンテナンスを出来る人材がいない。名取は現在、タイ人のスーパーバイザーへ遠隔でエンジニアリング関連のスキルを教え、指導を続けている。

異文化での成功事例を、
日本の本社工場にも応用したい。

2021年5月、タイ工場は検証用の試作品を日本に向けて出荷。そして7月には最初の量産品を初出荷することができた。製品は日本でハンドリングされ、三国間貿易でヨーロッパ、アジア、アメリカ、日本へとグローバルに販売されている。タイ工場の規模は、加工工程が13設備、部品の組立工程が10ライン。サプライヤーはタイ国内に26社、キトーを含めたアジア全域で6社。新工場には歌田のこれまでの経験をすべて注ぎ込み、資材の調達、加工、出荷までの一貫生産体制を無事に構築することができた。COVID-19の影響で苦労はしたが、無事にミッションを果たしたのだ。

柳沢は「イエス・ノーをはっきりと言ってもらえたことで新しい気づきがあり、技術者として成長したと思います。今は、毎年SNSで年賀状が来るのが嬉しいですね」と話す。名取も「誰もがこうした業務に携われるわけではない。貴重な体験を今後に生かしていきたい」と語る。

歌田は今後、タイ工場での経験を日本の工場に逆輸入することも考えていきたいと言う。日本の本社工場は、将来的には小人化・ロボット化を目指していく必要があるからだ。「人のスキルに頼らない工場のあり方を、ある程度形にできました。少子高齢化が進む日本では、このモデルが一つの事例として生かせるはずだと思います」

現地の作業員たちの9割は女性だという。作業手順やチェック方法が確立された現在、作業員は積極的に仕事に取り組み、さまざまな質問や提案もしてくれるそうだ。「タイは女性が働き者の国柄ですね。微笑みの国とは言いますが、実際のところは私たちの働き方も厳しく見られていると感じます。とは言え、日常ではあちこちで漫才のようなコミュニケーションが見られますよ。言葉の壁はあっても、とても和やかな雰囲気。新しい会社を創るという体験を、一緒に楽しんでくれています」

Member

タイ工場 責任者・工場長
歌田秀樹
KITO HOIST THAI CO., LTD.(Thailand)
柳沢達也
生産技術第二G(山梨本社工場)
名取正司
生産技術第二G(山梨本社工場)

※部署名はプロジェクト当時の表記

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